DAYDREAM

つまらないことを、つらつらと。

生きるという話

感染性胃腸炎に罹った。以後汚い話アリ注意。

 

年末、押し迫った29日の0時過ぎ、それまで何か胃袋がもやもやしていたのがとうとう我慢できなくなり、吐き出したのが始まり。

 

その晩は、トイレと寝床の往復を余儀なくされた。上と下からその日の夕飯を全て出し切ると、今度は体の水分を絞り出すように水を吐いた。

胃が、意図と違う力でギューっと痙攣した。

止めたくても止まらない。ものすごい力が胃と腹筋にかかる。

気持ち悪くなり始めの時は指を喉に突っ込んで吐いていたが、そこから先は嘔吐中枢が仕事をしたらしい。

 

吐き気と胃痛、下痢に上腹部の筋肉の痛み、全身疲労、交感神経過剰反応による筋肉の緊張(主には首が痛かった)、眠ろうとすると何かの不快感で目がさめる絶望…正直、死ぬかと思った。むしろどうせ死ぬならもっと楽に殺してくれって思った。

 

明け方になってもまだ水を排出し続けていた私は、その朝ヨレヨレになりながら医者に行き、点滴で水と電解質を入れてもらう。

吐き気止めと整腸剤を頂いて帰った。

 

最初の異変から2日、水とおかゆとメイバランス(ご飯が喉を通らないお年寄りとかに与える栄養ドリンク的なやつ)なら食べられるようになった。

今は30日の23時になろうというところだが、まだ頭痛と腸のゴロゴロ、全身倦怠感(というか本当に疲れた)は治っていないし、下手なものを食べたらすぐ気持ち悪くなる感じはわかる。

 

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私が力を入れたのではなく、むしろ疲れるからやめて!って思った時にでも止めようにも止まらなかった嘔吐。

これは、消化器に入って来た異物(ウィルスとか細菌とか)を流して排出するための本能だ。

 

人間って、基本は生きるために動いているんだなぁ。

そんなことを思った。

私なんか、なんどこの世から消えてしまいたいと思ったことか。でも、体は生きようとしてるのね。下手すると「胃の筋肉の痛みは捧げますから、どうぞ私を救ってください」だなんて。

 

生きるって、本能なんだな、などと、考えて見たりした。

 

自殺してしまった人は、本能ではもうどうにもなれなくなった人。

それはいい悪いじゃなくて、どうにもならない問題から解放されない苦痛を手放すためとかの、致し方ない選択などということもわかる。

 

私もいろいろあってそんなに生に執着がないと自分では思っている。それにもかかわらず、菌を中に閉じ込めておけば死ねるかもしれないっていうのに、あんだけ無理やり意識関係ないところで回復させようとするなんて。

 

体っていうのは生きるためにできてるんだなぁ、なんてことを、強く認識させられた。

 今も腹筋の筋肉痛で痛い…。

 

生活保護とパチンコの話。

【単なる理想論、かもしれないけれど】

 

一般的に言って、あと感情的にも、人の金でギャンブルやる人にはなんの肩入れもできない。
一般の労働者が「こっちは苦労して税金払ってるんだ、金返せ」って思うのも道理だ、と思う。

ただ、失業して次が見つからない人や、心身の不調によって働けない人、年金があまりにも少なくて生活保護を余儀なくされている人…
生活保護を受けている人は何もみんながみんな「不正受給」しているわけではない。
止むを得ず福祉の世話になって恐縮し、小さくなって生きている人の方がずっとずっと多い。
「不正受給」の人は徹底して叩き潰していいが、そういった人は全体のごくわずかだ(データ持っているわけではないけど)。

基本的には、生活保護を受けるのって、みじめで、寂しいことだと思う。私は幸いまだセーフティネットにかかるところまではいってないが、悲しそうにその身を憂うおばあさんの話とかなら何人か分聞いたことがある。


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肩身が狭くて、しかも生活に制限があって、なんの楽しみもなく、人との交流も(役所のケースワーカーを除けば)ほとんど無い…
こんな人が、唯一現実を忘れられる場所としてパチンコ屋に行く、というか行かざるを得なくなる気持ちは、想像はできる。
パチンコ屋に行けば、人はいるし、音もジャンジャンなってて寂しくないし、ひょっとしたら自分でも勝てるんじゃないかという「偽りの自己有用感」を持つこともできる。

生活保護受給者の「パチンコ依存」を防ぐには、社会との繋がりを持たせられる仕組みが必要なのではないだろうか?
ただ「パチンコ禁止」だけで済む問題なんだろうか?


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例えば、保護費の一部を食券にして特定の食堂に行けるようにする。そうするといつものおじちゃんとおばちゃんが迎えてくれ、いつもの常連と話ができる…とか。
「誰がその食堂やるのよ?」的な問題はもちろんあるけど。


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それとか、例えば、保護受給者の比較的元気な層で「町の便利屋さん」集団を組織し、電球の取り換えとか草取りとかを請け負ってお金をもらう。
もらった分を保護費から引くなどはせず、ちゃんと働いた人のものにする。

そして、役所から、元気じゃない層の受給者に対して見守りや便利屋さん活動を引き受ける。もちろん役所から謝礼が出る。
なんなら町内会などの雑務を引き受けるのもいいかもしれない。今はボランティアがやっているが、なり手がいない。もちろん謝礼をもらう。

差別や偏見もあるだろうし、実際社会から転落した人の一部には社会性の欠落した人もいるだろう。
だから、障害者雇用における「ジョブコーチ」みたいな支援制度は必要になるかもしれない。
生活保護受給者だって人間で、コミュニケーションもとれて、仲良くなれる存在だと気づけば、差別意識も薄れると思う。差別は、相手に対する無知から生まれることが多い。

一定の金額を超える働きができた受給者に対しては、その経歴を盛り込んだ履歴書を持たせて就労支援を行う。

自分が社会の役に立つことを知った受給者は、うまくすればまた働きに出られるかもしれないし、そうでなくても社会との接点を持ち、孤独に追い込まれずに済む。
元気じゃない受給者も、近所に話し相手ができる。一人ぼっちにならずに済む。


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本当は、社会のお荷物扱いを受けながら施しのお金をもらってパチンコやってたい人なんて、思うほど多くはないと思う。
彼らが食費まで削ってパチンコに行く理由は、孤独と「役に立ってない感」から逃げるための「依存」ではないだろうか。

「パチンコをやる権利」ではなく「社会とつながる権利」を補償すべきなのではないだろうか。

役所は、警察と組んで(これは必須だと思う)不正受給のヤクザとかと闘って、浮かせた分の保護費を使ってそういうところにお金をかけたらどうなんだろう。
結果として労働者に戻れる受給者も出るだろうし、保護費削減に繋がりそうなものだけど。

人手も足りない中、理想でしかないのだろうか。

 

news.livedoor.com

個性と同調圧力の辺縁で

私は多分、幼少期にへんちくりんな子供だった。
自分が興味を持ったこと以外目の中に入ってこない、友達と遊んでいても目の前を蝶々が飛んでいくと蝶々を追いかけて何処かへ行ってしまうような子供だった。

 

そんなだったからか、人間の反応は怖かった。
ちょっとからかわれようものなら、自分の存在を否定されたかのように泣いた。
自分だけの世界で完結できないものが苦手だったみたい。

 

その後、幼稚園、小学校、中学校と、社会性が必要とされる場ではとことん嫌がられた。
人間、怖かったんだと思う。クラスメイトの行動に逐一怯えるようになり、イジメを惹起する。

 

とはいえ、殴られたり、お金を取られたり、そういうイジメではなかった。
触ってもらえなかったり、二人組を組ませてもらえなかったり、無視されたりといった感じだった。
あの当時の同級生は、私がいじめられていたと思ってなかったみたい。変な子だから付き合いたくないだけで。
9歳の頃すでにうつ状態であったようなエピソードを持つ「可哀想な子供」だったけど、それは感受性の問題だったのかもしれないし、そうじゃなかったのかもしれない。

 

周りも私自身も大人になった、義務教育終了後は、精神的にも落ち着いたし交友関係も良好だったと思う。
ただ、高校の頃も、大学に入った頃も、私は人間に怯えながら少し斜に構えながら「一人でも居られる自分」に酔っていた。
ちょっと前に話題になった「便所飯」をやらずに済んだのは「一人でご飯食べてる私自立しててカッコイイ!」という謎かつカリソメの自尊心によるものだった。

 

大学生になっても相変わらず私は、脳みその中でストーリーを妄想したり、空を行く雲を何時間でも見上げていたり、授業がつまらなくて「催眠術師」とあだ名された教授の言葉を全部ノートに取らんばかりに「ノートをとること」に熱中したりしていた。

 

「みんなで何かやること」の中に入って行くことがどうしても苦手だった。
学科の友達にはとても恵まれていて、本来の大学生らしく楽しそうに興味深そうに勉強していたのに、そこに入り込むことができなかった。
オツムの出来の問題もあったかとは思う。
「ノートをとること」は大好きだったのに、理解していなかったので、よく友達が私のノートをコピーしてテストを受けて良い点を取っていた。もちろん私より点数は上(^^;;

 

なぜか「催眠術師」のゼミに入った私、真面目さだけが取り柄だったので連絡係とかを申し使っていたけど、ゼミ生の人達とは卒業後すぐに縁が切れてしまったな…。
本当はヤンヤいいながら研究したかったけど、教授も定年間近で静かな人だったので、ゼミで活動した記憶があまりないんだな…一度みんなで教授のお家に遊びにいったことはあったけど、それくらいで。

 

もしも…ボンヤリするか、熱中するかが大好きなあの子供が、それでもいいんだよと手を広げてくれる場に行き当たっていたら、どうなっていたんだろうな、なんて考える。

 

いや、私にうまく「入っていく」技術…個性と同調圧力の真ん中でバランスをとりながら楽しむ技術を身につけるキッカケがあったら、だいぶ変わっただろうと思う。
あの当時の私には、それは理解できていなかった。集団の辺縁でうずくまりながら「私は一人でもいいの」という嘘に安堵していた。

 

今からでも、何かできるだろうか?
「なんとか単位を落とさず出られた」という恥ずかしい成績で大学を出たあと、それまでと同じだけの年月を生きてきてしまったが、何かに真摯に向かい合うことはまだ可能だろうか。

 

言うまでもなく、「可能」なのだと思う。
私がやる気と興味を取り戻せば、それはいつでも。
倍の年齢を生きた私には、生来欠けていた部分を経験で補う「豊かさ」を持ち合わせているはずだ。一般的な人よりも少ないかも知れないけれども。
もとより「変な子」だった、その特性はきっとどこかで生きるはずだと思う。熱中、独創性、想像力…いいものはたくさん持っているはずだ。

 

一方で文芸サークルに入って脳みその中の妄想をお外に出す活動もしていたが、それはまたの話。

 

conobie.jp

知らないものは選べない、という話。

詳しいことはわからないし、この女性がどんな人だったのか調べないで言ってるからズレてたらゴメンなんだけど、

 

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最上のレールに乗って来たこの人には「電通を辞めて実家に帰る」なんて選択肢があったと思う?

 

日本の最高学府を出て、新卒のカードで超大企業に入って、そこで一流エリートとして生きていく…そうチューニングされた人生像。
そこをいびり出されてとか、病気になってとか、不本意な形でやめるなんて、彼女の中には想定されていなかったはず。

 

「なぜ辞めなかったのか」ではなく、ナチュラルに「辞めたら生きていけないからしがみ付いていた」なんだと思う…。

 

大学出たての、きっと挫折経験もない若い人である。
東大卒スーパーエリートの生き方しか周りにない。友達もきっと名のある大企業に就職したことだろう。挫折しつつある自分の参考にはならない。
辞めたら落伍者でどこの誰も拾ってくれない、ここで踏ん張らないと生活保護…くらいの思考の短絡さというものはあったと思う。
社会に出るという意味では、赤ちゃんみたいなものである。経験が無いところに柔軟性は生まれない。

 

まして、忙しい上に嫌がらせを受けるような環境では抑うつっぽく(自殺まで考えてたんだから、医者に診せればうつ病と言われたはずだ)なってたわけで、そういう人は病のせいで、白か黒かでものを考えるようになる。
仕事頑張る or die!! …ってのは全く不思議な話じゃない。

 

役所とか大手企業には自殺者やうつ病患者がたくさんいる。
「え?ここそんなに激務なの?」って思う向きもいるかもしれない(残業100時間が当たり前ってのは、間違いなく激務だと思うけど)。
そこの病理は、実は「辞めるという選択肢が無い」ということなのかもしれない。
辞めてごらんよ、「なんでそんなに恵まれた会社辞めちゃったの!?」ってみんなから言われるから。あれマジで苦痛だから。
再就職のときにも面接で絶対聞かれ、「ああ、あんな恵まれた大企業辞めたんだ。うちもすぐ辞めるかも」ってマイナス点を加えられることになるから。

 

別にこの若い女性が「選択を誤って親の元に帰らなかった」ことが問題なのではない。
「辞めて家に帰っても人生はやり直せるし、どうにでも幸せになる方法はあるんだよ」っていう選択肢を与えられるきっかけが無かったことに痛ましさがあるのだと思う。
彼女には「華やかな学歴」と「若さ」というアドバンテージがあったのだから、実はさっさと辞めて第二新卒として就活してもあまり痛手はなかったのではないかと思う。

 

もっと大きなことを言えば、日本にはレールを外れた人が安心して生きていく機能が何一つ無い。
若くもなくたいしたウリもない感じで、仕事が合わなかったり病気になったりした「不本意に辞めた普通の人」は、再就職がとても難しい。
でも再就職しやすいように…非正規しか選べないなんてことがないように…なってないと、まぁ自殺者増えるよね。

 

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「厄介な子供」という不幸

私も昔、学校になじめない子供だった。


いじめられて傷ついていたから、いつも学級集団から少し離れているような子供だった。
時々辛くなるとお腹痛くなったり頭痛くなったりした。仮病ではない。多分精神的なものだと思う。


「うつは甘え」とか言い出すような知識と常識の欠落した輩ならば「仮病」と言われてもあーあーそうですかってなもんだけど、あの当時はもっとひどかった。30〜35年も前の話だし、精神科領域の研究も進んでなければ知識も普及していないので、私もまた「ひどく厄介な子供」として扱われていた。

 

私は苦痛を解消したくて先生に何度も訴えたのですが、なにぶんこちらが社会性がない子供だったから軒並み「お前が悪い」扱いだった。
社会に馴染めない子供に社会性を学ばせること、それが集団教育を行う学校の役目ではないか?
話を聞きだすまでもなく、一人ぼっちでも泣いていても、時に世をはかなんでベランダから飛び降りそうになっててもスルー。


あの当時、もし自殺でもしても「遊んでて転落」扱いで終わってただろう。そんな1980年代。

 

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先生の言い分はこうだろう。


「私は学習指導要領に基づく授業スケジュールをこなさなくちゃいけない。他の生徒の話も聞かなくてはならない。事務もやらなければならないし授業の予習をして明日に備えねばならない。部活動の顧問とかボランティア活動を強要されてるし、子供の親が時々面倒なことを言ってくる。一人のおかしな子供に構っていられるか」

 

時代は進んで子供は減っても、基本あまり変わってないのだな、と思う。
私なんて、若くして親になった人が孫の小学校入学を目前に控えているくらいの年齢なのに。

 

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そうだとしたら、もう心身に問題を抱えた子供は専用のクラスなり学校なりで療養がてら今後について考える必要が出てこないか?
そういうのができる教師、養護教諭スクールカウンセラーがいる&精神保健福祉士や子育て専門員に相談ルートがあるような。

 

東京にある某区教育委員会には、体の弱い子供のために、区内ではない静かな町に建てた療養学校がある。
喘息の子供や、いじめられて精神的に不安定になった子供、太りすぎてしまった子供などが、全寮制で心身を養いながら勉強している(はず。少なくとも20年前はそうだった)。

 

教師だってめちゃくちゃに仕事を盛られているんだろうから、上野千鶴子が言うほど話は簡単ではないと思う。
今時教師は聖職ではない。教師はサラリーマンであり、また一人分のキャパシティしか持たない普通の人間である。ケアが必要な子供のことを考えていると、仕事量がオーバーしてしまうのだろう。

 

「手のかかる子供」は学校から離してあげて、休ませてあげて、話を聞いてあげて、大人になった時に傷を抱えたまま社会に出すのはやめてあげていただきたい。
いじめ体験が社会不安障害などを引き起こし、世の中にアタッチできなくて苦しむ大人になる…これは人工の病だ。

togetter.com

ゲットされる路地

「pokemon GO」はなぜ批判されるのかというと、大きな理由の1つに、

 

「今まで一部の人々による独占(に近い)状態だった場所に、予想してない人々が来るようになっちゃった」

 

という、ある種の既得権益の破壊みたいなものがあろうかと思う。
ちょっと前の時代なら当たり前にあった「目的外使用」をことごとく排除しようとしてる。
目的に沿った事だけされてるなら管理が楽だからね、たぶんそういうことかと思う。

そうやって管理が行き届いていると、全体的に安全にはなるんだけど、ゆとりの部分が本当に無くなってしまい、文化とかの受け皿はまぁ、少なくなるよね。

 

(もちろんこれだけじゃないんだけど)

 

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例えば、道路は「歩行者優先」とか言いつつ、実際は車の都合で動いている。
「車に轢かれないように気をつけて歩く歩行者」と「車」の通る場所が現代社会の「道路」。
我々が子供の頃くらいは、路地には「ボール遊びをしている子供」とか「井戸端会議の奥様の集団」とかがいた。でも、今それをやると「迷惑」と言われる。
公共の場なのでいろんな人がいるはずだった場所は、目的をかなり絞られて存在している。道路って基本「通行しかしてはいけない場所」なんだよね。

 

井戸端会議の奥様達は今やスマホでバーチャル会議ができるようになった。その代わり、近所付き合いが希薄になった。
私は横浜から離れることがほぼないけど、その土地にずっと住む人ではない、気軽に引っ越しをするタイプの人だから、基本ココでは他所者。隣が誰だかもわからない。

 

ボールを投げたい子供は…どこへ行ったのだろう?公園でも禁止され、校庭はそこの学校の子しか遊べない。
隣の学校の子とはどうやって遊んでるんだろう?学習塾とかで交流してんのかな。

 

こういうことを言い出すと「昭和時代の老害」って言われちゃうのかな。

 

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ポケモンを捕まえるべくウロウロする人達は、「自分の使い方こそここの目的」という既得権益を持った人々には迷惑だと思われるはず。
何してるのかわからないから。自分達の主張を無視する存在だから。今までの管理方法では管理できなくなる恐れが高いから。

 

東尋坊では自殺予防に励む方の人達にとっては「思わぬありがたい存在」になったみたいだけど、多分、自殺をしたい人から見たらすっごく迷惑だと思うよ、pokemon。

 

temita.jp

メメント・モリ、的な。

遺品整理は昨年父のをやったけど、大変なのよ…遺された者の想いとかあってね。とても重くて疲れる作業だったな。
あと、物理的に重たいのは、なんか重要そうなメモなんだけど何書いてあるんだかさっぱりわからない走り書きとか、友達にダビングさせてもらった昭和歌謡のMP3データ集CDとか(母は歌謡曲聴かない)。

 

すんなり決まったのはパソコン。妹は自営業なんでもっと良いパソコン使ってる。母は多分一生パソコンなんか弄らないしだいたい何ができるものだか分かってなさそうな68歳(まだそんなに年齢いってないのにね…)。
私がもらって使っております。

 

ゴルフが大好きだった父の棺桶には、グローブと木製のティーを入れました。
同席した親類みんな納得で「あっちでもゴルフやるよね…きっとすぐ仲間見つかるよ」って言いながら見送りました。

 

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私が死んだら何入れてもらおうかな…特にこれってものないんだよな…趣味好みが明確な人はだいたい思い浮かべてもらえて得だと思います。

 

私はきっとそういうのがないから(天然石は好きだけど、火葬場に持って行ったら燃えないものは怒られちゃう。むしろ焼けたら骨壷の中へ入れとくれ)…

 

着たことないような、白いレースとフリルの綿のドレスなんか着せてもらって、乙女チックに送ってもらうのアリかも。
子供の頃から可愛らしい服を着たことなかった。
それに、病院の売店で売ってる浴衣じゃ趣がなぁ…。

 

生花は菊とか百合じゃなくて、納棺用だけでも赤とか青とか黄色とかピンクとかの季節の花が良いなぁ。
生前花束なんか数えるほどしかもらったことがないんだもの。最期くらい花で送ってもらえたら嬉しいな。

 

それ以外、お通夜もお葬式も要らなくてテキトーにお別れを告げたら火葬場直行でいいのよね。

…死んだ時用の一式揃えておいて、いざという時に夫に託しておこうかな。

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